2004 Arbeitsjournal

サボテン
Arbeitsjournal
2025年1月20日更新

2004年






1月?
Suicideの日本盤のためのライナー

「東京スーサイド」

1977年のロック・マガジンにスーサイドとドール・バイ・ドールを紹介する記事が載ると、腕を交差させたアルトーの写真と共にまだ細身でブーツに大きなベレー帽のアランの写真は切り取られて額に入れられ、中央線の大概の女の子のアパートの青いヴェルヴェットでしつらえた祭壇に飾られた。毛語録のような紅い星の付いたジャケットを抱えてマイナーに走り込み、スロッビング・グリストルを押しのけてかけてもらった。その夜、日本のフリー・ジャズは終わり、マイナー発行の雑誌「アマルガム」の表紙のタイポグラフィーからも血が滴ることになり、アナログ・シンセや発振機が持ちこまれ、セッションは再び上下構造を持つようになった。東京ではそうしたどんづまりの垂れ流しの 「聖霊なき物質の彼方へ」的フリー・ミュージック経由で、京都ではもう少し明るい虚無と自家製サンプラーの概念によるリック・ポッツ経由で、80年代の日本のノイズが準備されていった。スーサイドのシェフィールド・ツアーの後スロッビング・グリストルが結成されたのと同じようなことが世界中で同時期に起こっていた。それは自殺というキーワードでグラムの残党まで巻き込み、カンとホークウィンドの熾火に息を吹き込み、シンセに大型特殊免許でも要るのかと思わせていた短調のミニマリストたちの領分をパンクに解放し、ラリーズ関係に「今のルーリードよりまし」等言わせ、灰野敬二は「自殺協定なんてカッコ良すぎる」等例によって羨望の入り混じった苦情というかたちの賛辞を述べ、すべての楽器店のリズムボックスは阿部薫と間章が相次いで死んだ季節に1拍子の鼓動を与えた。最後の瞬間に窓辺に人影が映るだけの「フランキー……」の映像は、当時盛んに行われていたロンドン・パンクのヴィデオ上映会のつまらなさのなかで、物事が許される最低限の基準を定め、ニューヨークを、つまりシルバー・アップルズの偉大な伝統を再び思い起こさせた。「世界にはスマートな聴衆というものが存在する。」とアランは言い、全ての曲にシスター・レイの水準を要求した。こうして、1979年までには、デカブリストのサークルに入ろうとするロシア青年のようなときめきとともに真に参入すべきシーンが開かれていると思えたものだったが、廉価の軽量シンセが出回るようになると、マーティン・レヴの、同期させないリズム・ボックスと手動シークエンスのずれの含羞がテクノ・ポップに吸い上げられるようにテクニックとして消費されたりして皆がやりにくくなりはじめ、ZEがノー・ウェーブの死体を集めるさなか、アランは「キャデラック、、ファー・コート、シャンパーニュ……」などと歌っていた。81年のイブのソーホーのパーティーでアランはピアフの扮装で何事かを叫んでいた。クラウス・ノミがエイズで死ぬ前の時期は皆そんなふうだった。彼が凭れかかっているフェルメールの絵みたいな女の人がマリかしらと思ったがもうたぶん違ったんだろう。その頃ぼくは22歳で、毎夜ロウアー・イースト・サイドを壁から壁を伝う影のように移動していた。世界に自分を投げ出してしまっていて、銃で脅され ても英会話の練習をしているようにしか感じなかった。彼の部屋にはベッドと、「エディット・ピアフ全集」と「エルヴィス・プレスリー全集」しかないということだった。帰りに寄った深夜のカフェで偶然一緒になった。ベレー帽の彼はいつものように毅然として顔を上げて隣の男と話しており、ぼくと目を合うと目を合わせたまま隣と話しながら目玉焼きを乗せたパンを黄身が流れ落ちないように上手に食べてみせた。その後零下20度の路上で自分の部屋の鍵をなくしたことに気付き、しょうがなく壁を攀じ登って初対面の階下のゲイの夫婦の窓を叩いて入れてもらい、そこから3階の自分の部屋に入り、その翌朝「to Alan」という曲を書いた。アランはその頃プエルトリコ系の顔をした男の子にギターを弾かせ、ソロで「マグダレーナ1981」、「マグダレーナ1982」、といったプレスリースタイルのブギーを歌うようになっていた。彼の歌にはなんというか、老婆の信心、みたいなものがあった。日本に帰るとC級GS好きの渡邉浩一郎が、東京ビートルズや東京ローリング・ストーンズがあるのに東京スーサイドがないのはおかしい、と言うのでその名前で埼玉大の学祭かなにかで戦前の歌謡曲のようなものを演奏したことがあった。ぼくと浩一郎か柴山伸二が一緒に居る時、一人が突然ビービビビービビとマーチン・レヴのフレーズを口にすると、もう一人はどんなに落ち込んでいても、どこに居ても、たとえ電車の中でもアランの 雄叫びを真似る習慣があった。その習慣は浩一郎が自殺する一週間前まで続いた。

2月2日
溺れるノア、宙吊りのまま岩塊を削ってゆく

怪物は机の上に、水から上がった、2本の羊のような角のある、

3月12日
suspended season under suspended sentences
suspended anticipation that makes our heart sick

guilty or not guilty
do I pay my penalty
do I keep my reality
suspended in midair

 ちゅうちゅうぶらぶらりんりん
 suspended anticipation that makes our heart sick

延期された期待の中で
延期された判決の
延期された季節の中で
縁切りの獄窓の月の出

(ちゅうちゅうぶらぶらりんりん)
guilty or not guilty
(ちゅうちゅうぶらぶらりんりん)
do I keep my penalty
(ちゅうちゅうぶらぶらりんりん)
do I keep my reality
in this suspended moon
(ちゅうちゅうぶらぶらりんりん)
(ちゅうちゅうぶらぶらりんりん)
ちゅう……(ここでトップテン番組のように立ち消え)

3月14日
is there the way out to paradise
is there the way out to paradise
is there the way out for me

is there the way out to paradise
is there the way out to paradise
is there the way out to me

is there the way out to paradise
is there the way out to paradise
is there the way out to you

3月25日
楽音と非楽音の間を自由に行き来できるようにするために

・ふたりの楽譜の読めないギタリストのためのデュオ
ひとりが弾いた単音のフレーズをもうひとりがそのまま追いかける。しばらくして入れ替わる。

・オフサイト系ギターデュオ
通奏低音の想定された音を弾くときはその音を弾く前と弾いた後の時間だけを音にする

・通奏低音の想定された音楽を奏でるさいの決めごと
ひとりが演奏しているあいだひとりは演奏せず、上衣をゆっくり脱いで下着だけになる。上衣をつけないと演奏できないのでゆっくり上衣を着け、着け終わった後演奏をはじめる。もうひとりは上衣をゆっくり脱いで下着だけになる。下着だけになったら演奏してはならない。ゆっくり上衣を着けてつけ終わったら演奏をはじめる。ふたりとも上衣をつけたらふたりとも演奏できる。ふたりとも下着のときはふたりとも演奏できない。

・ロックンロール
ギターで普通にロックンロールを演奏する。ただし、弦に触ってはならない。

・世界でいちばん遅いロックンロール
ごめんなさいという言葉を早口で4×4回繰り返しそれを8ビートの1拍として数えながら2小節演奏する。ただし弦に触ってはならない。

・世界でいちばん速いロックンロール
頭の中でいちばん速い8ビートをイメージし、同時に演奏を始める。演奏中は息を吸ってはならない。ギターは弦を触ってはならない。傍目には息を我慢する競争をしているように見える。

3月26日
桜花曲線

花びらの角度によって光線は春を砕き
落下する曲線の先には岩があり
岩の上に据えられるべき机があるなら
ノートを開くだろうきみというノートを

3月28日
朝、世界は寒く、ぼくらの白はどんよりしていた。昼、世界は暗くぼくの灯りはそんなに周りを照らさなかった。夜、世界は甘く、調合できなかったすべてのカクテルをきみは飲まされた

やきものづくりを職業とした理由
 ロンドンでの音楽活動を終え、東京に戻ることになった。若いころのようにはいかないという思いがあり、やきものは誰でもできると考え、家業でもある生計をたてるための職業としてこの道を選択した。

表現のテーマは?
 その辺の土でもいいからとにかく砥部の土を使ってやらないとダメだと思う。音楽は自由であるが、やきものには産地、素材といった制約があり、音楽の持つ即興性を持ち込もうとすると難しい。

陶芸に対する父の姿
 父のやきものは、理にかなっているだけに無言の圧迫感がある。みんながいろんなことをしようとするから、オーソドックスな形を目指している。限られた世界の中で出された答えとして完璧であるが、ぼくは継承できない。不自然でないもの、必要性のある形、即興性がないところで自分のポリシーが否定されるし、追随だけではダメだと思う。

この世界の魅力は
 音と土は、その人そのものが出やすい。やきものも音楽と同じでうまい下手はなく、思い入れなどテクニックでない世界で勝負できる。そういうところに魅力を感じる。磁器は苦しいものですが、ただの趣味ではなく、その枠を出たい。

4月4日
咲いてしまった花の
咲かなかった花の
上る坂道の
下る階段の
咲いてみたかった花の
咲くべきではなかった花の
上る苦しみの
下るかなしみの
咲いてしまった花の
すべての花の
行きの鎌倉の
帰りの鎌倉の

4月18日 国立 地球屋
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ
movietone

4月28日
unify my heart

5月1日 小金井 アートランド
「新緑」

5月2日 渋谷 o-nest
「第1回 円盤ジャンボリー」 

5月4日 中目黒 楽屋
「源にオカエリ」
ピアノ・ソロ

5月8日
やまをこえたら
かぜがふいていて
よろよろ
やまをこえたら
うたえないうたが
ごろごろ

5月11日
麦秋がきいろく仕切られていて
山はずいぶん高い
ぼくらは奉仕で井手の傍を歩いている
しろつめくさやレンゲが刈られてゆく
そろそろむぎのあたまを掃除しないと
はなびらのうたにまた脅迫される

5月13日
flesh beside me

5月19日
夕暮れの蝙蝠めくら滅法のかなしみ
方体の中を飛び回る直線のかなしみ

5月24日
long been a half hearted
now i have got a whole heart given
その翌朝
光にまみれ
地をかきなで
俺に追いつく

5月31日
ら…みそら……

切り断たれたおれがのたうちまわり
やがてうごかなくなる
it rains on my cut tail

6月7日
低い音に飛上がる

6月15日
there is no safer place than in the memory of you

6月19日
photo-n

6月21日 無力無善寺

6月26日
あんまり胸がいたいんで病気だと思うことにした

7月16日 小石川図書館
『旋律とはなにか』

8月8日
hi there,
how’s your bassoon, turquois?
my id is 1979
you may not remember me
but once we had bid for the same bassoon

and both of us were beaten by a higher bidder
ebay shows other bassoons day after day

after that i bought a red maplewood one
it was $895
and i have found you, turquois
you finally got same maple one

i just would like to say hello to you
because we seem to share our fate

how’s your bassoon, turquois?
i am in a band and liked tortoise
people play pastoral
do we play day after day until the end

9月12日
ルーリード的な公園の話

暗い木の多い公園のベンチで男が胸が苦しい、と話している、きみに触りたいんだけれども触ったら命がない、ちょっとでも触れたらそれで終わりだ、だってそれはよくないことだからだ、、少し離れたところで別の年配の男が痛風の患者のように立って手足を震わせている、ベンチの男は触れないと言い続けていたが、それでも触ってしまう、女はしっかりかれの手を両手で握って離さない、ここまでだ、と彼は思う、思いながら触っている、震えている年配の男が目に入る、ふとかれは太極拳をしているのではないかと思えてくる、よく見ると木に触りながらたしかに太極拳をしている、円、水波、樹木の呼吸……木が彼を詰りはじめるがベンチの男はさらにきつく彼女の手を握り締める。

9月19日
よあけにかなりながくそうだんのてがみにへんしんし、しゃしんを苦労してupしてさんぽにでると、ひかりはitchyなかんじのそらにひろがり、つあーのさんだんをし、やまばとでざいんじむしょのはなしをし、おわりについてのはなしをうつつにきき、ひとのえらさということについてはなしたかったがはなせず、かたいかたいうどんをたべ、えーやだーというようなめーるをいくつかおくり、はずしたようでなさけなく、でんせんにはいつもの二羽のやまばと、それでも農村公園にいくとくるまのなかでしげちゃんがおおわらいしながら携帯をみているのでなにがおかしいのかわからないけどみんなメールばっかりみてるよなあとおもいながらさらにかわぞいのみちをあるいていくといねかりをおえたたんぼはあめなのに暖かく、てっぽうをさげていのししがりからかえってきたりょうしたちにたいへんですねというとしゅみだよといなせにいわれ、やまさんすとあからつあーでせわになったひとびとに梨をおくり、そのあとかんのさんをからおけのLDをさがしにブックオフにつれていってやることにし、いくとかんのさんはよろこんでノンアルコールチューハイをもってぼくのけいとらにのりこみ、いったがいいのがなくてさらにリサイクルの店に3軒行くもなにもなく、さいごに桜三里のトンネルを抜けたところの海賊じみた道沿いの古道具屋の迷宮みたいな通路のおくの夜逃げしたのをそのままもってきたような棚から肺にほこりをいっぱい吸いこみながらやっといちまいみつけたがあとがつづかず、かんのさんの「LDのかわりにLPをいれてみてもだめか」という見当違いな言葉を30回くらい聞きながしながらさがしつづけ、着物や楽器や陶器やいろんなものにさわったりたたいたりし、6時にかえるとちゅうごくのさんとうしょうからきたタオル工場勤務の曲さんがぴざのつくりかたとにほんごをおぼえにきていていっしょにそれをたべ、いくつかの発音をならい、うめしゅをのみ、

9月22日
雨にとっての花とか

10/2のチラシを取りに行ったモアで早川さんの去年のライブの「身体と歌だけの関係」をかけてもらう。いつもは「いいうたはいやらしくない」などといっているのに大丈夫か早川さん、と思った。曲がかかっている途中で店を出た。ロージィ・モーブというぼくのためにあるような名前の喫茶店に行った。
夜早川さんの「がんがん…」が離れなくってこまった。

9月27日
opportune
opportunistは日和見主義者とも便宜主義者とも訳されるが両者の根本的な違いは前者が受動的な処世を強調しているのに対し、後者は隙あらばいかようにも攻撃するといった狡賢な積極面を強調していること。

10月2日
physical education
physicalは物理学の,肉欲の、といった日本語では考えられない組み合わせだが、見えるものと見えないものという分け方から来ているのだろう。metaphysicalのmetaは下にというイメージだが、日本語では形而上、と上にくる。見えないものは日本では見えるものの上にあり英語では見えるものの下にある。

10月3日
hatenamixi is your sad daily bread
is this your real daily bread
what your daily bread ought to be
conversing fire of love haven’t saturated you

seamless garments woven by right and wrong hands
secret moments made of distant and closer words

outer garments sewn by long and short hands unseen
our torments sown with good and bad seeds

upon the untorn apparel soldiers cast lots
and so the soldiers really did these things

10月7日
harmolodics
スティーブ・ベレスフォードが、デレクベイリーはハーモロディクスの意味が分かってない、本当に分かっているのはオーネットだけだ、といって、オーネットと共演したドラマーの話を引用している。オーネットはそのドラマーに、ハーモロディクスとはなにかみせてやろう、といってメロディーを書きつけた紙をわたし、これを君が演奏しろ、自分は何でも好きなことをする、といったらしい。

ギリシャ語起源のこうした音楽用語はギリシャ時代においてさえ定義がばらばらで紛糾していたのだから、驚くにはおよばない。

10月29日 小金井 アートランド
exhibition 「やまばとデザイン事務所」
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

10月30日 裏窓
”夜、必敗者の夜”

11月1日 小金井 アートランド

11月2日
it was a big hug
it was a melody

it was a big tide
covering the memory

it was such a ride
it was such a foggy night

it was such a big hug
covering my malady

in the day of the king fierce

11月3日
tunnel of love
下林トンネル

11月12日 松本 群青
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

11月13日 新潟 village rock cafe
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

11月14日 裏窓
工藤冬里×向井千惠
向井と服と楽器を交換して演奏した。

11月15日 新宿 urga
向井千惠×工藤冬里/向井千惠×工藤冬里×木下晃知×水晶の舟

11月26日 姫路 mushroom
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

11月27日 岡山 禁酒会館
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

11月28日 徳島 鴨島駅前マミー広場 cafe au gogo
マヘル・シャラル・ハシュ・バズ

11月30日
多くの人が誤解している点ですが、maherはナイーブさとか自然さとかの対極にあります。アイロニーで鎧っており、蛇のように聡くありたいと願っています。ここはphysicalなカテゴリーであり、マヌーヴァ―を語る場所です。あだうちをかくすためにおのおのがたをだましもうしあげていたのですがほんとうのほんとうはサイケでうちいりきぼうです。

moving without Ark, mobile does not work

a drove I’ve snatched away, that I may shepherd it
I drive off even the male ass of fatherless boys
I seize the widow’s bull as a pledge
I turn aside the poor ones from the way
moving back boundary marks; moving without Ark in the day of the Lord

so the afflicted-of-the earth have kept themselves hidden
as zebras in the wilderness I’ve gone looking for food
the desert plain gives to me bread for my daughter
and the vineyard of-the wicked one I hastily despoil
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

naked, I pass the night without a garment
and without-any c o v e ring in the cold
from the rainstorm-of-the mountains I get drenched
because there’s no shelter I have to hug a rock
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

I snatch-away a fatherless boy-even- from the breast
and what’s-on-the-afflicted one-I take as a pledge
naked, I have to go-about without a garment
and, hungry, I have to carry the r e a p ed ears
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

between the terrace walls I pass the noontime
winepresses I have to tread and yet I go thirsty
from out of the city the dying keep groaning
and the soul of deadly wounded one cries for help
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

he considers-it-not-as- a n y t h ing improper
as for me, I am among the rebels against light
I did not recognize its ways
and I did not dwell in its roadways
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

at daylight the murderer gets up
proceeding to slay the-afflicted and the poor one
and during the night I become a regular thief
the eye of the adulterer watched for evening darkness
saying, ’No eye- will behold me!’ and o ver my face I puts a covering.

In the darkness I have dug into houses
by day I must keep myself locked in
I have not known daylight
for morning is the same as deep shadow for me
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

I recognize-what-the sudden terrors of deep shadow are
I’m swift on the surface of the waters
my tract-o-- f land wi--ll be cursed in the earth
I will not turn toward the way-of the vineyards
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

the drought, & the heat, snatch away the snow waters
so does She’ol those who have sinned!
the womb will forget me
the maggot will sweetly suck me,- I ’ll-be remembered no more
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

and unrighteousness will be broken just like a tree
I’m having dealings with a barren woman who does not bear
and I am having dealings with a widow, to whom I do no good
He will certainly draw away strong people by his power
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

that will rise up and not be sure of my life
he will grant me to become confident that I may support myself
and his eyes will be upon my way
I have become-high up-a little while, then I am no more
moving without Ark; mobile does not work in the day of the Lord

I’ve been brought low, like everyone else I am plucked off
like the head-o-f an- ear of grain I am cut off
mobile does not work, in the day of the Lord
mobile does not work, in the day of the Lord
moving without Ark; moving without Ark in the day of the Lord

これは悪者の歌です。ジム・モリソンやニコが、“The End”のなかで‘killer before the dawn’などといっているのはヨブ24章からだということに気付いて、その部分を1人称に改めるかたちで歌詞にしてみました。大きな悪と小さな悪しか出てこないところがハードボイルドです。Arkはワゴン車のほかに、契約の箱、箱舟、の含みをもたせてあります。「携帯は不能」というところがhatenamixiの主題がつづいていることを示しています。
境界線を移し変えて群れを奪った俺が養うために.父親のいない子のバイクを追い払い、やもめの債券も質物として奪う。俺は貧乏なやつらを道から押し退ける。それとともに地上で苦しんでいる者たちは身を隠していた。荒野のシマウマのように食べ物を探しにいく。荒野は俺の娘のためのパンをそれぞれに与える。俺は邪悪な者の葡萄園を急いで奪う。裸で、寒さのなか着るものも覆うものもなく夜を過ごす。山の雨あらしにずぶ濡れになり、避けどころがないからやむなく岩を抱く。俺は父親のない子を乳房からさえもぎ取り、苦しむ者の身にあるものを質に取る。裸で、着るものもなく行きめぐり、餓えながら、刈り取った穂を運ばなければならない。露台の壁のあいだで昼間を過ごす。葡萄搾り場を踏まなければならないがいつも、それでもいつも乾いている。市内からは死にかけている者たちがうめいており、致命傷を受けた者たちの魂が助けを呼び求める。けれども彼はそれを不当なこととして考慮しない。俺についていえば、俺は光に背く者たちのうちにいた。俺はその道を認めず、その通り道にとどまらなかった。夜明けに、殺人者は起き上がり、苦しむ者や貧しい者たちをうち殺し、夜にはまぎれもない盗人になる。姦淫をする者の目は夕闇を待ち構えて、「誰の目もわたしを眺めることはない」と言った。そして、その顔に覆うものをあてる。闇のなかで俺は家々をうがった。昼間は家に引きこもっている。俺は日の光を知らなかった。朝は俺にとって深い陰と一緒だ。俺は深い陰の突然の恐怖がどんなものかを知っているからだ。俺は水の表をすばやく去る。俺のひと続きの土地は地のなかで呪われる。俺は葡萄園の道には向かわない。旱魃や熱さは雪水を奪い取る。そのように墓も罪を犯した者を奪い取る。胎は俺を忘れるだろう。蛆は喜んで俺に吸い、俺はもはや思い出されることがない。不義は木のように折られる。俺は子を産まないうまずめと交渉をもっており、またやもめとも。俺はこれに良くしてやらない。彼はその力によって強い者たちを引いていく。俺は立ち上がるが俺の命はたしかではない。彼は俺に自信をもつことを許すので俺は自分に頼る。彼の目は俺の道の上にある。俺は暫くは高められたがもういない。俺は低くされた。他の奴らと同じように引き抜かれ、穂先のように断たれる。

12月18日 六本木super-deluxe
「Maher Shalal Hash Baz + decablisty DJs “20th anniversary + faux depart発売記念」

12.18 super-deluxeのための文章

2000−2001年頃の掟というのは、演奏中の音をリアルタイムで変調させてそれをフィードバックさせるのでなければPCは使ってはならない、といったものでしたが、まだソフトがいいのがでてなくて、ほんとのリアルタイムというのは無理だったし、実際はたまに演奏にノイズっぽい音が混じるくらいが関の山で、しばらくはpc由来のノイズが新鮮だったので喜んでやっていましたがすぐ褪め、主にテクノロジーに対するアイロニーからそれを人力で行ってみせたりするだけになりました。例えば録音のときすべてのトラックに水の音を混ぜたり、とか、DNAコンピューターと称して自分の入った箱を客に踏ませたり、とか。やがて演奏したいという人が沢山集まってきたので、モントリオールの人たちの集まり方とか、白石さんたちの関係していたno neck blues bandのやり方とかを知ったから、自分も何か、と思ってblues du jourという集団即興用のフォーマットを考え、それでしばらく演奏しました。リアクタ-によるフィードバックも引き続き採用していましたが。
2003年の初め頃は、伊予漫才の溝野辺騒動というシャッグスみたいなトラッドや奄美のメリスマに惹かれて琴や三味線を使ってそういう邦楽的な方向に行きそうになりましたが、春以降すべてのアカデミックな努力ができなくなり、法政で書き割りまで使って「あらし」というオペラみたいなものをやった後は、フォーク野郎に成り下がってそのままアメリカに行きました。そこでかろうじてquick songというコンセプトを得て、曲を作りながらツアーしていき、最後にリック・ポッツと録音できたのはとても嬉しいことでした。そのあとは裏窓に誘われるままにゴールデン街で廃人のように弾き語りをする日々となりましたが、たまにおもいだしたように 11月に渋谷uplink factoryで「最速或は最も遅い無音のロックンロール」をやったり、とかもしました。
2004年もひどい出だしでしたが、5月になんとか“Unify my heart”というCDRを出すことができ、それがいちおう代表作だと思って少し安心し、その曲の弾き方を発展させて、ギリシャ旋律のチューニングで演奏するやり方を始め、ひさしぶりにアカデミックな方向が見え、9月に新宿のジャムで、リアルタイムのオルガンのサイファーと呼ばれるヒスノイズをリアクターのピッチシフターで音階に変えることと、ギリシャ旋律の歌を組み合わせたソロを行うことができ、それが2000年来のひとつの達成だったなと自分では思っています。その後、10月に「やまばとデザイン事務所」という展覧会で、各人が持ち寄ったウェブ上の日記を読みながら即興的に演奏するというのをやりましたが、そのながれで、集団自殺するため火鉢をもってワゴン車に乗った「箱の七人」というコンセプトで松本 ・新潟ツアーを行い、そのまま姫路岡山徳島をまわり、今回に至っております。 今回は古楽の即興とギターポップ様式の融合について考えます。

当日は、stone in the riverを使ったグラスゴーの映画の上映が第1部、マヘルはテーブルを囲んで座り、ほとんど全員ギターを弾いた。

12月19−23日 裏窓
「工藤冬里・大晦日公演 -5日間連続-」
工藤礼子、中尾勘二、reiko A.、向島ゆり子

12月22日 下北沢 club que
「空気ボクシング」
マヘルは下北ではbdjだけしかしなかった。主催はTシャツまで作ってイヴェントを張ったが、10万の赤字を作り、かれの青春は終わった。

12月24日  恵比寿 trees are so special
ギリシャ旋法のチューニングで何曲か演奏した。

12月25日 裏窓
“夜、必敗者の夜 vol. 2”
×ma-on



(終)


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