クルト・ザックス『音楽の起源』 Arbeitsjournal

サボテン
Arbeitsjournal
2025年1月24日更新

クルト・ザックス『音楽の起源』
(『音盤時代』別冊『音楽の本の本』掲載)


工藤冬里



人生が点なのか線なのかが問題でした。60年代は「瞬間に倫理はない」という考え方に要約されるように思えました。音は点を求めていました。それはデレク・ベイリーによって具現化されたと言われていました。ところが僕の生活は点どころか堕落した線ばかりであるように思われました。そういう風にして70年代を過ごしましたが、そのうちに、建築史を調べて、実は私達が美術とか音楽と呼んでいるものは、後期ルネサンスの頃に窓が出来てから始まったらしいと勘付きました。建築様式の変化がもたらしたチェンバーな空間があって初めてタブローや室内楽が、つまり点や線が、生まれたのです。クルト・ザックスの古典『音楽の起源 – 東西古代世界における音楽の生成』(音楽之友社、1969年)を読んで、フーコーのような残酷な眼で音楽の点と線を眺められるようになりました。フーコーが死ぬ前に「本当はギリシャなんかやりたくなかった」と言ったらしい、という噂が入ってきて、僕は勝手になる程と思ったのですが、ヨーロッパというのはヘブライとギリシャの上に成っていて、西洋音楽以外ではなく、西洋音楽以前の方が厄介なのです。紀元前11世紀のエルサレムの120人のオーケストラの記録は、その事実だけでクラシックに匹敵しますが、ディアスポラのシナゴーグに散らばったメロディーを比較して復元する作業の中で明らかになってきたそれら古代の音楽が、無調的な響きと拍子を持たない、点とも線ともつかないジュヌスという単位で即興的に構成されているということに、僕はとても感銘を受けました。例えばそれまでは、グレゴリアン・チャントの残滓としてのゴシック様式の通奏低音がジョイ・ディヴィジョンのベースになったんだな、とか理解して済まそうとしていただけでしたが、改めてジョイ・ディヴィジョンを聴くと、彼らが内包している、クリシェをばらばらに分割して再構成するような、西洋音楽以前に遡行する資質が、かれらの人気の秘密だったのかと気付いたりするようになりました。或いは『北』の始めあたりだったか、雪の日の橋の上で突如トゥラララとメロディーが押し寄せてくるセリーヌの頭の中を考えると、点でも線でもない、古代のある種の鳥の歌の節回しの集積のようなものが音楽なんじゃないかと今は、そう聞こえています。


(終)


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