12月18日のSuperDeluxeのための文章 Arbeitsjournal

サボテン
Arbeitsjournal
2025年6月15日更新

12月18日のSuperDeluxeのための文章



工藤冬里


2000〜2001年頃の掟というのは、演奏中の音をリアルタイムで変調させてそれをフィードバックさせるのでなければPCは使ってはならない、といったものでしたが、まだソフトがいいのがでてなくて、ほんとのリアルタイムというのは無理だったし、実際はたまに演奏にノイズっぽい音が混じるくらいが関の山で、しばらくはPC由来のノイズが新鮮だったので喜んでやっていましたがすぐ褪め、主にテクノロジーに対するアイロニーからそれを人力で行ってみせたりするだけになりました。例えば録音のときすべてのトラックに水の音を混ぜたり、とか、DNAコンピューターと称して自分の入った箱を客に踏ませたり、とか。やがて演奏したいという人が沢山集まってきたので、モントリオールの人たちの集まり方とか、白石さんたちの関係していた No Neck Blues Band のやり方とかを知ったから、自分も何か、と思って blues du jour という集団即興用のフォーマットを考え、それでしばらく演奏しました。リアクタ-によるフィードバックも引き続き採用していましたが。
2003年の初め頃は、伊予漫才の溝野辺騒動というシャッグスみたいなトラッドや奄美のメリスマに惹かれて琴や三味線を使ってそういう邦楽的な方向に行きそうになりましたが、春以降すべてのアカデミックな努力が出来なくなり、法政で書き割りまで使って「あらし」というオペラみたいなものをやった後は、フォーク野郎に成り下がってそのままアメリカに行きました。そこでかろうじて quick song というコンセプトを得て、曲を作りながらツアーしていき、最後にリック・ポッツと録音できたのはとても嬉しいことでした。そのあとは裏窓に誘われるままにゴールデン街で廃人のように弾き語りをする日々となりましたが、たまにおもいだしたように11月に渋谷uplink factoryで“最速或は最も遅い無音のロックンロール”をやったり、とかもしました。
2004年もひどい出だしでしたが、5月になんとかunify my heartというCDRを出すことが出来、それがいちおう代表作だと思って少し安心し、その曲の弾き方を発展させて、ギリシャ旋律のチューニングで演奏するやり方を始め、ひさしぶりにアカデミックな方向が見え、9月に新宿のジャムで、リアルタイムのオルガンのサイファーと呼ばれるヒスノイズをリアクターのピッチシフターで音階に変えることと、ギリシャ旋律の歌を組み合わせたソロを行うことができ、それが2000年来のひとつの達成だったなと自分では思っています。その後、10月に「やまばとデザイン事務所」という展覧会で、各人が持ち寄ったウェブ上の日記を読みながら即興的に演奏するというのをやりましたが、そのながれで、集団自殺するため火鉢をもってワゴン車に乗った「箱の七人」というコンセプトで松本 ・新潟ツアーを行い、そのまま姫路岡山徳島をまわり、今回に至っております。今回は古楽の即興とギターポップ様式の融合について考えます。
当日は、stone in the river を使ったグラスゴーの映画の上映が第1部、マヘルはテーブルを囲んで座り、ほとんど全員ギターを弾いた。


(終)


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