ビル・ウェルズとのアルバム『GOK』について Arbeitsjournal

サボテン
Arbeitsjournal
2025年8月13日更新

ビル・ウェルズとのアルバム『GOK』について
(『COOKIE SCENE Vol. 72』〔2009年8月号〕に改変後掲載)


工藤冬里


1.
ビル・ウェルズというミュージシャンは共演相手としてどう映っていますか?

ぼくもビルもほんとうは役のない不具の役者だ。職業も性別も国籍もない。気が付いたら劇の中にいた。役のない劇に参入すると、出てくるものは赤裸々である。それを直視するには勇気と思想がいる。思想はなんでもいい。ナチだった奴もいる。思想がないから忍耐で武装する。世界劇場に投企されたビルは、マル・ウォルドロン風に削ぎ落としたジャズの通行人を演じる役回りを帽子のように冠ってはいるものの、演奏中それを振り落とそうとして首を振っているように見える。間違ってもスイングしているようにはみえない。ビル・ウェルズ・オクテットやグラスゴー・インプロヴァイザーズ・オーケストラの、自分の底なしの底をマイナスの極とし、見えない笑う帽子を正の極とするオルタナの(ACの)ダイナモのように、目紛しく入れ替わる流れのさなかにのみ不在を通したかれの実存がある。
とはいえかれは数世代に亘る叩き上げのバンドマンである。地続きでキャラバンと繋がっているほこっとした人脈的な風土の奥行きの中にかれはいる。だからかれが何より嬉しかったのは、ケヴィン・エアーズの『アンフェア・グラウンド』に参加したことだと思う。かれは最後はカンタベリーの草の上に落ち着いて寝転べそうな気がする。

2.
ビルは工藤さんに共感する点について「メロディーの力を信じること(a common belief in the power of melody)」と「バンドメンバーに自由に演奏をさせる点((non) bandleading skills, is not really telling anyone what to do and just letting the musicians sort it all out eventually)」とありました。この点については、どう思われますか? また工藤さんがビルに共感する点はあるでしょうか?

メロディーには我方(アバン)と他方(タバン)がある。ビルのメロディーはほんらいは敵方に属する。いつの時代もぼくらは敵の中に見方を見、見方の中に敵を見てきたのだからそれはいい。こちら側ではメロディーとは罪と同義であり社会と自分の距離を表し、コードに購いを託す。うたの力はメロディーそのものの中にはない。それは周縁の言葉の額縁と不可視のコミュニティーを前提する。ビルの場合は「メロディーの力」はグラスゴーの見えるコミュニティーと彼の間の、さらにはイングランド及びアメリカ合衆国の支配とスコットランドとの距離感に依っている。日本人がGlaswegianのメロディーを好むのは明治政府の音楽政策により、スコットランドつまりケルトの音感を自らの古層にしてしまったからである。 メンバーに自由に演奏させる、という日本の悪しき戦後民主主義はグラスゴーにおいては対イングランド社会主義ポーズのようなものとして表れており、ベルセバのマルキシスト振りはバンドの「家政の運営」household managementにまで及んでいる。人の集まりはいいものだけれども、人の力ではそれを纏めることはできない。バンドとは本来は結婚のようなセオクラティカルなものだからだ。
  この前ビルは目黒の寄生虫館横の豪勢なスタジオを借りてジム・オルークや関島岳郎や山本達久なんかを呼んでドミノ用の録音をした。パート譜をセッションメンバーに渡すとき、ぼくの譜面にだけは楽器が指定されておらず、ぼくにぼくを演奏せよということらしかった。彼とぼくとの限りない遠さを近くに感じてぼくは嬉しかった。

3.
アルバム『GOK』の中でお気に入りの曲があれば教えてください。

吉祥寺のGOKスタジオで録音する前日、ぼくは大友良英と灰野敬二と新宿のJAMで過酷な合奏をし、中腰でタムを連打したりしてすっかり腰を痛めてしまった。そのまま眠らずにスタジオに入った。演奏中寝てしまっている曲もある。だから自分のグレッチが駄目だった『Osaka Bridge』は全体も駄目にちがいない、という小野サトルの考え方に従えば、ぼくは『GOK』も全体が駄目にちがいないという予感があって聴けなかった。ドミノとの契約の消化という消極的な理由で『GOK』が出される側面を知っていたし、『Osaka Bridge』にしか参加できなかったメンバーへの贔屓もあった。ただ商業的な試聴のサイトで、あるいは映画『中村三郎上等兵』で、自分の吹いた「Tipsy Cat」のクラリネットが聴こえてきたときちょっと感激した。うまく間違えている。

4.
マヘルは、このビルとの共演作はもちろんのこと、パステルズのジオグラフィックからのリリースや、現地でのツアーなど、グラスゴーのアーティストとの関わりが深いと思います。工藤さんご自身は、こうして遠いスコットランドの地でマヘルの音楽がポピュラーになっていること、またその理由についてはどう思われますか?

ケルト的(もっといえば先住民のピクツ的)なものと縄文的なものがうっすらと(ほんとうにうっすらとですよ)結びついているということで、ローマ、バビロン、イングランド゠アメリカ的なものから辛くも逃げ遂せているかに見えるのがその親和性の理由だと思う。

5.
グラスゴーの音楽シーンは、よくロンドンから距離を置いて独自のコミュニティーにおいて発展してきたと言われます。工藤さんも、現在は東京から離れた松山に拠点をおかれていますが、そうした距離感において、グラスゴーとの共通点などは感じられますでしょうか? また、ツアーをされた他の海外の土地と比べて、グラスゴーとその音楽シーンについては、なにか特殊性があると思われますか?

クライド湾からビルの育った運河の町フォルカークまでを横断するアントニヌスの城壁以北はヨーロッパでローマに支配されなかった唯一の地域である。前線の人柱となることを厭わずスカートを履いたハイランドの兵士の肺活量が、今でもアントニヌスの城壁までバグパイプを膨らませている。
ブリテン島北端の波止場でシェットランド諸島に行く船を待っていたとき、ビルの友人のミュージシャンに偶然遭った。これからケルトのバンドの仕事で、と彼は口を濁した。これは言ってみればそれまで「コブラ」とか「大友さんのワークショップ」とかで仲間を増やして地方で活動してますみたいな人が島唄の伴奏の仕事に行こうとしているところに出くわしたような。
譬えが悪いようなら、例えば、北海道の三割が現在もアイヌ語で生活しているとして、札幌に東京に対抗したポストカード的な音楽シーンがあるとする。そこでは自分のナイフも作っておらず、熊も殺せないようななよなよした男が歌うのが流行っている。okiのような民族的な自覚を促すミュージシャンは現れておらず、[欠落]ところがポストカード以降、グラスゴーではバグパイプを吹けそうもないなよなよした声で歌うバンドが続出し、[欠落]松山は結社が盛んな風土で、野村朱鱗洞の十六夜吟社は、ウラジオストクのデカブリストのサークルの印象がある。松山の結社性については他県から来るミュージシャンからもよく指摘される。モア・ミュージック店内は手製のオーナメントで飾り付けられ、食べ物の自発的な屋台が出て、赤ん坊や老人が当然のように混じっているのは東京では見られない光景である。ニカ公爵夫人が居ないからバップは興らないが、グラスゴーの半分くらいしかない天井の家で、汎瀬戸内ミュージャン’s guild はジャンベトランス系とよく闘っていると思う。


(終)


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