マジキック祭り〜Majikick Outfits Arbeitsjournal

サボテン
Arbeitsjournal
2025年8月15日更新

マジキック祭り〜Majikick Outfits
(10月25日、法政学館)


工藤冬里


●今日のマジキック祭では「司会」でクレジットされていましたが、姿が見えなかったですね。パソコンで音声を出しているようでしたが。

工藤 ピーター・アイヴァースが司会をしてるケーブル・テレビを観たんですよ。クイーン・ビーっていう地元のバンドを紹介してて。で、最初にピーター・アイヴァースが歌うんですよ、ワンコードでシャウトしてて。そんなふうに最初はやりたかったんですけど、イギリスに行く前(この2日後)で楽譜を整理するのに頭がいっぱいで、あまり人のことを構う余裕がなかったんです。だから文字を音声化するソフトを使えば、僕も控え室で自由に時間を使えるし、いいなと思ってたんですけど、結局いたずらみたいでおもしろくてずっといましたけどね。

●演奏途中も入れてましたよね。今日のイベントはある意味、工藤さんの意思を継ぐような世代のひとたちが出てましたが、いかがでしたか?

工藤 意思かな? 彼らの“明るい”感じに影響を与えたのかもしれないですね。対比させると面白いと思うんですけど、向井(千恵)さんがよく法政大学でやってる「パースペクティブ・エモーション」というイベントがあるんですけど、ダンスとかパフォーマンスとか即興のひととかが今日と同じようなことをするんですけど、全然感じが違いますよね。植野くんたち(マジキック)はまっとうに演奏しようとするひとと邪魔するひとを組ませるとか、要するに暗くないですよね。僕はほんとうは暗いんですけど、そこはそんなに伝わらない(笑)。ひとを集めてやるときは、明るくする方法というか気持ちよくやる方法を考えるから。70年代のフリージャズでも2つに分かれたんですよ、バカ騒ぎするタイプと、シビアでストイックなタイプに。フリージャズの立場だと、どうも明るいほうが分が悪いというか、のちのちに残るのは明るくないほうじゃないですか、その場で盛り上がるのはまた別の話で。不思議ですよね。植野くんは「命がけでやってないのに暗い風なのがいちばん嫌いだ」って言うんですよ。暗いほうのひとはまた逆のことを言うんですよね。ぼくは向井さんのほうにも出るから、両方あるんですよね。

●そういう両方があるなかで、工藤さんが挑戦したい部分というのは?

工藤 明るい部分というのは大事で、たくさんバンドがあるなかで、最終的にはラブソングとか、ある種の希望を持った歌詞が聞かれるというか。僕もかつては希望をもっていた気がするんですけど、今はそれほどはないような気が……。余生を生きてるような感じで、あまりよくない状態なんですよ。

●今日は元気ないですよね、ほんとうに。

工藤 いかに音楽的にどうこう工夫しようとしても、自分のもとになっている安心感とか希望を手放しつつあるようなことがいっぱい起こるから。辛い時期ですよね。

●たとえばそれはどんなふうに影響が出てますか?

工藤 日本語の歌詞の曲をたくさん作ったんですよね。こんど出るのは1曲をのぞいて全部英語なんですけど、だからその時期と僕は、全然違うんですよ。こんど出るのは1年前の自分で。……ただ、ほんとうはその日本語の時代ももう自分のなかで終わってるんですけど。今は何をしていいか、わからない感じで……。だからつねに違いますよね、やっぱり。だからそれを今やってくれといわれたら難しいというか、出る時期が遅れると困りますよね。グラスゴーのひとたちはゆっくりしてるから、心情が変わらないんでしょうね。僕の場合はコロコロ変わっていて。

●ちなみにこの雑誌の付録CDに入る曲はどの時期の録音ですか?

工藤 今年の9月で、日本語の時期の最後です。“a will”というのは“遺書”という意味で、もうこれで……。すごく暗い歌なんです。死ぬひとが身辺整理をする歌なんですよね。

●もしかしてそれは自身のことを?

工藤 はい。でもアメリカから帰ってきちゃったから、おめおめと。だからその時代ももう終わっていて、また違うことをやろうと、もとにもどる努力をしているんです。 「ごめんなさい、ごめんなさい」って、ガセネタの山崎(春美)みたいに。

●ではすでに過去のものかもしれませんが、新作について。比較的素直な作りで、ポップな曲が並んでいますが、やりたかったことというと?

工藤 そんなに素直な状況で録音されたものではなくて、けっこう大変だったんですよ。スタジオで録音するって、若いころは実現したら夢のように嬉しいじゃないですか。だからどんなことがあろうと、音楽そのものをやっちゃいけないような重圧のなかでも、やっちゃうんですよ。それで昔のアルバムは暑苦しくなく、冷やっとした感触みたいのがあるんですよね。今回もその同じことをもういちどやろうとしてるんですよ。ただ、昔にくらべて作った期間が短いじゃないですか。昔のは10年以上作り溜めたものだったけど、こんどのは2年ぐらいのあいだで作ったものだから、感謝の念も薄れるじゃないですか、慣れると。だから昔みたいに曲を実現させたいという強力な意思みたいなもので引っ張っていく感じではなくて。そんななかで、みんな疲れてるから全員がそろって録音することができなかったり。起きていられるひとだけが演奏するから、ある曲なんかはバックコーラスがひとりとか(笑)。だから楽しそうにポップな曲をやってるように見えるけど、鬱病のひととか抱えて最悪の状況でやってて。「頼むから自殺者だけは出すな」とか言われながら、そういうのに負けそうになりながら録音してて(笑)。昔だったら曲ができる嬉しさがそれを上回っていたけど、今回はほとんどそれとイコールぐらいな感じで。だから曲自体の魅力とか自分の思い入れとか、昔のほうがあったかもしれない。昔だったら不可能なことも無理矢理してもらいたくて細かい楽譜を書くんですけど、いまはほとんどほかにもバンドをやってるひとたちに頼んでるからあきらめちゃってて。頼めないんですよね、深いとこまで。たとえばシャッグスが掛け持ちでやってるって想像できないじゃないですか。あるいはビートルズもソロはあっても掛け持ちでって感じはしないじゃないですか、ひとり抜けたら解散みたいなイメージがあるじゃないですか。でも植野くんが言うには、「最近はシャッグスも掛け持ちでやる時代なんですよ」って。たしかにティム・バーンズとかの動きを見てるとそんな時代なんですよね。動けるひとが牽引しているような。だから僕もそういう動きに巻き込まれて……別にそれでいいんですけど、ほんとうはメンバーみたいなひとがいるのが一番いいんですけどね。

●それは意外ですね。

工藤 “誰とでも”というのと裏返しなんですよ。メンバーがいないんだったら地球全体のひとをメンバーと考えるしかないっていう。メンバーが欲しいからそう言ってたって意味なんですよ、ほんとうはね。だから気持ちとしてはふつうのロックバンドをやりたいって気持ちと同じなんですよ。好きなひとが集まってバンドをやりたいっていうだけなんですよね。なんかでもね、音楽家のひとはメンバーにはなれないみたいですね。自分の音楽があるから、ひとから押しつけられてはできないんですよ。かといって音楽にまったく興味のない非音楽家だとバンドそのものができないんですよ。だから音楽は好きだけれどもひとからの楽譜によって自分を表現して何の疑問ももたないというか、それが嬉しいみたいなひとじゃないと。ずっと僕は、自分の分身がいっぱいいればラクだなと思ってたんだけど、結局はバンドのメンバーってことをいままでよくわかってなかったのかもしれない。だからライブハウスとかに“メンバー募集”とかするひとたちがずっと不思議だったんですけど、彼らが遅れてるとか無知だっていうんじゃなくて、僕のほうが利己的だったんじゃないかって。素直にひとと話し合って妥協しながら詰めていってふつうにバンドをやればいいのに、それができなくて自分のワンマンバンドみたいなことしか基本にもってないからそういうことになったんだろうな。ほかのひととふつうにバンドがやれるようになったらいいですよね。みんなそうやってるんですよね。それで大人だから別れたり辞めたりとかして動いてるでしょ? 僕は辞めるとかそういうのが理解できなかったんですよ。「バンドを辞めるってどういうこと?」って。でもやっと少しわかるようになってきて。ちょっとだけ大人になったのかもしれない(笑)。中3とか高3くらいのひとを見ると「先輩!」って思うもん(笑)。大学生とかになると「お兄さん」って心のなかで思ってるんですよ。ほんとうに子どもだったんですよね。

●新作のほうに戻りますが、前半は普遍的なポップスが並んでいますけれども、普遍的なポップスにたいして工藤さんはどのように自己表現しようとしているのか、教えてもらえますか?

工藤 最初のほうのはポップですよね。イギリスのひとたちと一緒に作るときって、日本より摩擦が少ないんですよ。彼らがふつうに感じてるスタンダードな感性に合わせてあげようかなってなっちゃうんですよ。日本だと突っ張るんですけど。“いい曲”だとか“きれいな曲”だとかって喜んでると、こっちも気持ちがおおらかになっちゃって、「あ、ふつうにやればいいんだ」みたいな(笑)。ただグラスゴーのひとは1音だけルートを弾かないとか、変な屈折があるからやっていけるんですけどね。そういうやり方に合わせたんじゃないかな。彼らのために録音したって感じですもんね。だから何年かのあいだに書いた曲がたくさんあるなかで、「いかにもポップな」というのから順に録音して。アルバムの曲順は録音した順番に並んでるんですけど、だんだん短い「例によって」って曲が増えてくるでしょ? あれは歌モノのポップな曲のストックが底をついたからで。だからあのまま行けば延々続けられるんですよ。僕は毎日でも曲を書いていたいから、曲はいっぱいあるから。でも、ザ・カーテンズとのスプリット盤を出したひとたちの場合はまたぜんぜん違うんですよ。このひとたちのときはこのCDでいう、逆の順番に録音していくような感じ。彼らもそっちのほうを好むし。けっこうなんだかんだいって、レコードを作ってくれるひとに合わせるから。

●それは工藤さんのなかに2つの軸があるということなんですかね?

工藤 ほとんどつながってるんですけどね。ただ短いやつは普通のポップな曲に組み入れられることもあるし、ほっとかれることもあるという感じですよね。だからケーキの層みたいに一緒になってますけどね。どっちも僕なんですよ。

●共通して、メロディが牧歌的で癒される感じですけれども、工藤さんが音楽を作るときに、そこに癒しを求めていることはありますか?

工藤 音楽を作る以前に、不安感とか嫌じゃないですか。だから求めてますね、平安な気持ちは。1曲目はツアー中に作ったんですけど、フェリーでアイルランドに行って港に1泊したんです。そこで朝日がきれいで、そのとき作った曲。だから僕の場合、旅の途中で作ったほうがいいみたいですね。素直な感じでそのまま録音できたから。だからずっと僕に旅をさせて作らせ続ければいいと思うんですけどね(笑)。このあいだアメリカに行ったときも毎日のように作ってその日に演奏するって感じでやってて。「この調子でずっといけるな」ってみんな帰りたくないって感じでしたね。だから“a will”は日本で暗い気持ちで作ったけど、アメリカで毎回やったんですよ。だから曲自体の楽しさのほうが上回っちゃって。いまはそういう男のひとのことを歌った歌っていう感じで捉えてますね。

●アルバムタイトルの『Blues Du Jour』はどんな意図で?

工藤 レストランに行くと“Soup Du Jour”(本日のスープ)というのがあるんですよ。その言い方をブルースに変えて、「今日のブルース」。「毎日その時に思いついた素材で演奏していくようなかたち」って意味です。ザ・カーテンズとのスプリット盤は、スターリンっていう街で不失者とシズカってバンドと一緒にコンサートをやったときのライヴを選んで入れたものなんですけど、そのときのライヴのタイトルが“Blues Du Jour”で。日本流通盤のなかにそのいわれが書かれているので、それを見ればわかると思います。だからやりたいことは“Blues Du Jour”なんですよ。だからほんとうはすべての曲はなし(笑)。その場で思いついたものをやるっていうのがいちばんの基本なんですけど、前半の曲は「やってあげた」って感じなんです。嫌いではないんですけど、放っておけば僕は“Blues Du Jour”のようなことをやる人間なんですよ。

●工藤さんのライフスタイルのなかでの音楽の位置づけについて。毎日曲を書き溜めているようですが……。

工藤 昔はみんなが音楽をあまりにも重要視しすぎてるってひとのことを批判してたんですけど、音楽は引き続き毎日のようにできてるんですよ。それを自分では選んだり捨てたり、ネガティブなのは出さないようにしてるし、がんばって。日本にいて仕事をしていると曲ができないことが多いけど……できるときはバーッとできて……みんなそうだろうけど。これだけバンドがたくさんあるなかでよく自分がこんなことをやってるなっていうのが不思議で不思議で。何かがあったからなんでしょうね、ある種の希望が。でもいま、僕にはそれがあるかどうかわからない。それに気付いたのかもしれない、最近。大事なものに気付いたというか。将来にずっと生きていけるという安心感みたいな、「このままいける」というものがないと聞かないんですよ、ひとって音楽を。「死ぬ」ってことをメインにしちゃうと、そのときはみんな泣いたり聞いたりするんだろうけど、最終的にはどうも……。とにかく「残っていくものがある」ってことを伝える要素がないとダメみたいで。それでいっぱいバンドがあるけど、希望とかはもってないんじゃないかな、基本的なところは。
(すみません、すごく重要な話なのに、ここで僕が話を遮ってしまったので、続きをお願いします。)

●ところでロックスター願望みたいなものはこれまでありましたか?

工藤 変な伴奏はいらなくて、ツーコードとかスリーコードでベースとドラムがジャカジャカやってくれたら、「僕ならどうにでもする」って思ってましたね。だからこういうポップなものもまだ好きでやるんですよ。でも「スター」っていうとやっぱりブライアン・フェリーとかデヴィッド・ボウイみたいなものをイメージしますよね、ああいうのにはなれないですよ。でも、言ってる本人の出す言葉が、ある意味詰まっていればそれでいいんですよ。題材は何でもいいんですよ。マイナーでも、その本人の中身がそのことにたいして詰まっていればいいんですよ。その「詰まってる」ってこと自体で音楽にある種の力が生まれる。だから「戦争反対」とか普遍的なことをべつに言わなくてもいいんですよ。それが自分の内面と隙間がないかってことだけやってけば。そういうボーカルのひとがやっぱり「聞かれる」んでしょうね。ラブソングとかを無理に作って歌わせる音楽って、やっぱり隙ができちゃうんですよね。たまにその隙を埋めるような力をもったボーカリストがいるからおもしろいんで、音楽ってそこらへんがからくりなんでしょうね。

●そこは工藤さんも自覚的だと。

工藤 うん、『メタル・マシーンズ・ミュージック』のライナーでルー・リードが「リアリティ、それが問題だ」って言ってたのをずっと守ってるんです。“Blues Du Jour”もそうですよね。そのときのリアリティ、それがあればどんな変な内容でもいいんです。


(終)


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